公共政策研究室

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インドでのスマトラ沖地震による津波被害からの復興調査

2004年のスマトラ沖地震による津波被害からの復興調査を行った。 被害があったのは、インド南西部地域のタミル・ナードゥ州であり、住民の移転、産業復興等に関して調査した。 インドの行政組織は、基本的には、連邦政府、州、州の出先としての県、郡、村(パンチャヤート)となっている。しかし、州によって組織形態も異なっており、インドの中でもタミル・ナードゥ州は、タミル人の国といわれるように、インド北部とは違いが大きい。 津波で被災した住居の移転に関しては、州政府からパンチャヤートに到る行政主導の決定が大きいようである。その間に、パンチャヤート内での議論が行われ、住民の意見も一定程度反映されているように見える。 途上国全般に言えることだが、日本と違い、地方政府の力が弱く、NGOが資金を投入して復興住宅を建設するので、同じ地域でも区画によって資金提供元のNGOが決めた仕様になっていたり、そのNGOがどこに居住するのかをくじ引きで決定したりするため、合意形成という面では、課題があるようである。また、インドは、基本的にヒンドゥ教のの国であり、カースト制度が根強く残っているため、居住面においてもその点がネックとなるケースが見受けられる。今回の調査では、くじ引きなどの方法で異なるカーストでも混在させて住まわせたので、その辺の問題と、従来の近隣住民が離れたところに居住することになって、住民感情上課題となっているように見受けられた。 また、内発的復興を促進するために、ワールドビジョンなどの国際NGOは、地域のNGOに資金提供を行い、そこがグループレンディングの方法によって、自助グループに資金提供する方法が多く取られている。この辺は、開発経済では常識になっているのだろうが、UNDPの担当者からも、内発的復興を促進するために近年は、自助グループに資金提供もしくはグループレンディングする方向が取られている話が聞かれた。 さらに、そういった自助グループはほとんど女性のグループであり、生計のためにカーストを超えてグループが形成されることがあること、また、女性の地位が低いインドにおいて、自助グループが収入を得ることにより、村の中での発言力を増し、地域の政治構造に変化を与えている様子が窺われた。 ヒンドゥ教自体は多神教で、土俗的な要素を持つ宗教であり、生活の中に浸透しているが、近年はインドの経済発展と共にカースト自体が意味を持たなくなりつつあるようなイメージも受けた。 <調査地域> <チェンナイ空港>
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<インドのコーヒー> 昔の日本のコーヒー牛乳と同じような味
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<カダルール県(Cuddalore District)政府事務所>
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<津波被害が大きかったカダルール県の地図、海岸沿いのオレンジ部分が被害地域。細かいブロックはパンチャヤート(行政村)>
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<宿泊したポンディシェリのホテル>  ポンディシェリは、インドがイギリス領であった中で、フランス領であった地域。現在は、連邦政府の直轄地となっている。
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<ホテル近くの海岸> 日曜日のため、車は通行止め、家族づれやカップルなど多くの人。屋台がたくさん出ていた。見える海はベンガル湾津波は、スマトラ沖から数千キロ離れたここまで押し寄せてきた。
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<ベンガル湾> (シンガスロップ(Singarthoppu)地区) <民家での家庭料理> 民家で家庭料理をいただいた。コンクリートの床にゴザを敷き、竹の葉の上に食事をのせる。もちろん手で食べる。レストランでの食事より味は最高にうまかったように思う。しかし、手で食べるのは日本人には精神的にちょっときつい。
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<ランチの後での民家の前で>
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<津波で被災して再建された住宅>
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<地区の女性グループへのインタビュー> 集会所兼、礼拝所みたいなところなので、靴を脱いでインタビューをした。
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<津波の高さ>  集会した場所の5-6メートルある椰子の木の上まで波が来たそうだ。
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(ムズクライ(Muzhukuthurrai地区) <コミュニティリーダー達からの聞き取り> 被災を受けた地区で、コミュニティリーダー達と会合を持っている様子。タミルナードの男達の顔つきは、やはりインド北部の人たちとは違う。皆漁民なので、マッチョで精悍な感じである。
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<村の子ども達> 人なつこい子ども達。ちょうど昼時だったので、低学年の子どもは学校が終わった後なのだろうか。日本人のような風貌が珍しいらしい。
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<下水処理施設> 緊急津波復興プロジェクトで、ワールドバンクの支援で作られたと書かれている。
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(MGRティテュ地区) ここは、沖合の島に居住して被災を受けた人たちが移転してきた地区である。 <恒久住宅の立地地区>  中央の広場には、亡くなった人の墓標が見える。
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<コミュニティセンター>
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<コミュニティリーダー達へのインタビュー>
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<被災した島(旧村)> 沖合に見えるのが被災した旧村の島。ボートに乗って渡った。ちょっとスリリングな感じだった。
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<島の中の様子> 民家はまったくなく、外国から来たと思われる人が海水浴をしていた。
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(ツナミナガール(Tsunaminagar)地区) ツナミナガールとはすごい名前だが、ここは、3つの被災コミュニティから集まって作られた恒久住宅地区である。 住宅の位置を示すボードは、被災から10年が経過しており、近々ある州議会選挙のポスターなどが貼られてしまっている。住民は、抽選で居住地を決められたそうだが、未だにそれぞれ、元の居住村に所属しているそうで、奇妙な感じがする。 <地区の入り口にある恒久住宅の位置図>
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<地区の住宅>  ブロックごとに資金の出所(政府、NGO)が異なっており、仕様が異なっているとのことである。
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<地区の女性グループへのインタビュー>
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<マハーバリプラム遺跡群> チェンナイ近郊の世界遺産ベンガル湾に臨むマハーバリプラムは、6世紀以降、パッラヴァ朝における東西貿易の一大拠点として栄え、町には数多くのヒンドゥー教寺院が建立された。規模は小さいが数カ所の寺院が世界遺産に指定されている。
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