公共政策研究室

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ハクソー・リッジ

戦争映画は、かなり見たが、最近見た「ハクソー・リッジ」は秀逸な映画だった。

 

ハクソー・リッジは、沖縄県浦添市浦添城跡で、戦争中、日本軍からは「前田高地」と呼ばれていたが、米軍はハクソー・リッジと名付けた。

沖縄戦の激戦地の1つであり、現地にも立ち寄った。

アメリカの映画で、日本との戦いを描いたものはそれほど多くないと思うが、中でも、出兵した兵士の家族やその生い立ちについて細かく描いていること、衛生兵を主人公としていることなどに関しては、他には例がないのではないかと思う。主人公のデズモンド・T・ドスはテネシー州出身の実在の人物であり、アメリカで、良心的兵役拒否者(Conscientious objector)」として初めて名誉勲章を受けた人物である。年配のアメリカ人の間では比較的知られている人物らしい。

 

衛生兵を主人公にした戦争映画は、日本では作られないだろう。アメリカでは、衛生兵がそれだけ大事にされており、リスペクトもされていたということの証拠でもあろう。負傷した兵士も適切な処置をすれ命を落とさずに済むし、軽傷であれば、一定の治療をしてまた、戦線に復帰できる。

 

旧日本軍の場合は、攻撃重視、突撃重視、防御軽視、兵站軽視、情報軽視といった悪癖を持っていた。これは、日露戦争で期せずして大勝利したこと(海戦は特にそうで、陸戦は、辛うじてというのが実情)、近代戦である第1次大戦を本格的に経験しなかったこと、陸海軍の大学校における幹部のペーパーテストでの成績主義などが原因である。

 

私が評価している戦争映画は、つぎのようなものである。いずれの映画も、主役の兵士たちの家族が描かれているし、私はすべて反戦映画と捉えている。

  ノルマンディー上陸作戦を主題にしたスピルバーグ監督の映画で、最初の30分の戦闘に焦点が当てられるのかも知れないが、映画の本題はそこにはない。1人の一兵卒の兵士を救うためのヒューマンドラマである。このようなストーリーは、当時の日本では成り立たない内容であるが、それだけ、米国は余力を持って戦っていたということの裏返しでもある。

 クリンスト=イーストウッド硫黄島シリーズは、アメリカ側から見た「父親たちの星条旗」もあるが、こちらの方が良くできていると個人的には感じる。主人公はパン屋を営んでいた西郷()の二宮和也であり、硫黄島守備司令官の栗林中将には、渡辺謙が演じている。西郷らを通じて、国内の家族との絆や、その兵士がどのような生活をしていたのかといった背後が描かれているサイパンの失陥を受け、1944年8月19日に参謀総長名で示達された「島嶼守備要領」では、日本軍の対上陸防衛は、従来の「水際配置・水際撃滅主義」から、海岸線から後退した要地に堅固な陣地を構築し、上陸軍を引き込んでから叩くという「後退配備・沿岸撃滅主義」へと大きく変更されることとなった。これは、1944年9月~11月のペリリュー島の戦いで活かされた。栗林中将は、在米日本大使館駐在武官を務めた経験があり、アメリカの国力をよく知っている。無用な万歳突撃を禁じ、部下の将官との軋轢を乗り越えて、防衛陣地を構築し、持久戦法をとった。この戦いは、珍しく、日本軍の損害を米軍が上回る戦いになる。個人的には二宮の演技が光っているように感じる。ただ、現実は、栗林中将が最後の攻撃で亡くなり、日本軍の組織的な抵抗が終わってからの現実が悲惨であったこと(捕虜になることを許さないため、米軍が地下洞窟を水責め、火攻めにした点)がある。また、戦術の成功と米兵の多くの犠牲が米国世論に影響を与え、その後のB29による日本本土の都市の無差別爆撃や原爆の投下に結びついていったともいえる。

  • 永遠のゼロ

 1人の天才パイロットを通じた大東亜戦争とその後の生き残った家族を描いた秀逸の作品である。ただのパイロットが真珠湾で空母の撃沈を逃したことを悔やんだり、ミッドウェーでの海軍の失敗を評価したりしていることに対して、あり得ないストーリー立てと批判する論評もある。しかし、それは、彼を通して全体を説明しているためで、物語としては問題ないと思う。この映画に通じているのは、家族愛であり、末端の兵士を使い捨てにする当時の日本の軍国主義への批判である。いい演技をしていた三浦春馬が若くして亡くなったのは残念だ。