公共政策研究室

公共政策に関する記事を中心に紹介しています

移住・定住の促進

移住定住に関しては、行政が施策として推進しているが、バンクへの登録が少なく、マッチングがうまくいっていない。日本のかなりの住宅が空き家になっている状況の下、いずれ、大なたが振るわれるのだろう。考えられることのいくつかは、以下の通りだろうか。

①仏壇等が置いてあり、先祖代々の家屋を手放したくないといった人をどのように納得してもらうか。

②移住したいと思っている潜在的な人は居るわけだから、マッチングを図る必要性はあると思う。地域の人が仲介に入らないと行政では、難しいと思われる。

③子どもを抱えた家族が移住しようとすると、教育問題に関しての手当は絶対必要と思う。予備校、塾、そういったものが完全にない状況では、踏ん切りが付かない人は多いと思う。

④最大の問題は、職業の問題。観光にしても、通勤にしても、せめて2車線道路がないと、延々とすれ違いのできない道路が続くと、腰が引ける。

東北復興調査

今回は、南三陸石巻再訪を行った。震災4年目に入り、仮設住宅から高台移転が始まりつつあった。また、地盤のかさ上げによって、地域の風景がかなり変わってきているのが印象的だった。外部の団体はやがては引き上げていく。地域内部の組織がどのように自立していくのかが喫緊の課題と感じた。
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宮城県NPOセンター(仙台)
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美しい宇多津を作る協議会
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ラムズへのインタビュー, 支援しているレストランで
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対岸から見た南三陸町中心市街地(志津川地区、土地のかさ上げが進んでいる)
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旧宇多津町伊里前地区仮設商店街
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南三陸町旧防災庁舎、解体か保全か現時点では未定
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BRT志津川
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志津川地区の仮設商店街の中にできた観光案内所
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女川町の中心部の工事状況
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石巻市中心地区の仮設商店街、近々取り壊される予定
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石巻NPOセンター、市の中間支援施設

卒業式

この間まで寒さで震えていたのに、いつの間にか春になっていた。学部生も院生も論文作成にもがき苦しんでいたのが嘘のようである。 雪が溶け、梅が咲き、やがて巣立ちの春を迎える。そしてすぐにフレッシュな若者が入学してくる。我々教員の出来ることは、その人の持っている潜在力を引き出すことにつきるだろう。それ以上の、つまり、無から有を生じさせることは出来ない。 卒業生、おめでとう、しかし、前途は多難である。ただし、人の何倍も努力することを惜しまない人材を社会が放っておくことはないことも確かである。通常は、それは就職先の会社の上司である。しかし、能力を認めるのは社内に限定されるわけではない。何れにしても付和雷同することなく、愚直に努力することの意味を再確認して欲しい。 <ゼミ生達と>
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NPO学会

今年度は、関西大学で開催された。今年度の主要なテーマは、東日本大震災、寄付、公益法人制度改革、社会的インパクトなどであろうか。NPO法が出来て16年もの年月が経過する。公益法人制度改革の影響もあり、NPOという言葉の持つニュアンスが少しづつ変質してきているようにも見え、ちょっとした踊り場に来ているような気もする。 寄付税制や市民ファンドの形成の影響は未知数であるが、NPOのサービス供給のみに光が当たる昨今の状況はかなり気がかりである。かつては、ガバナンス主体としてのNPO、社会変革装置としてのNPO、アドボカシー主体としてのNPOにもっと光が当たっていたように思える。 <シンポジウムの様子>
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インドでのスマトラ沖地震による津波被害からの復興調査

2004年のスマトラ沖地震による津波被害からの復興調査を行った。 被害があったのは、インド南西部地域のタミル・ナードゥ州であり、住民の移転、産業復興等に関して調査した。 インドの行政組織は、基本的には、連邦政府、州、州の出先としての県、郡、村(パンチャヤート)となっている。しかし、州によって組織形態も異なっており、インドの中でもタミル・ナードゥ州は、タミル人の国といわれるように、インド北部とは違いが大きい。 津波で被災した住居の移転に関しては、州政府からパンチャヤートに到る行政主導の決定が大きいようである。その間に、パンチャヤート内での議論が行われ、住民の意見も一定程度反映されているように見える。 途上国全般に言えることだが、日本と違い、地方政府の力が弱く、NGOが資金を投入して復興住宅を建設するので、同じ地域でも区画によって資金提供元のNGOが決めた仕様になっていたり、そのNGOがどこに居住するのかをくじ引きで決定したりするため、合意形成という面では、課題があるようである。また、インドは、基本的にヒンドゥ教のの国であり、カースト制度が根強く残っているため、居住面においてもその点がネックとなるケースが見受けられる。今回の調査では、くじ引きなどの方法で異なるカーストでも混在させて住まわせたので、その辺の問題と、従来の近隣住民が離れたところに居住することになって、住民感情上課題となっているように見受けられた。 また、内発的復興を促進するために、ワールドビジョンなどの国際NGOは、地域のNGOに資金提供を行い、そこがグループレンディングの方法によって、自助グループに資金提供する方法が多く取られている。この辺は、開発経済では常識になっているのだろうが、UNDPの担当者からも、内発的復興を促進するために近年は、自助グループに資金提供もしくはグループレンディングする方向が取られている話が聞かれた。 さらに、そういった自助グループはほとんど女性のグループであり、生計のためにカーストを超えてグループが形成されることがあること、また、女性の地位が低いインドにおいて、自助グループが収入を得ることにより、村の中での発言力を増し、地域の政治構造に変化を与えている様子が窺われた。 ヒンドゥ教自体は多神教で、土俗的な要素を持つ宗教であり、生活の中に浸透しているが、近年はインドの経済発展と共にカースト自体が意味を持たなくなりつつあるようなイメージも受けた。 <調査地域> <チェンナイ空港>
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<インドのコーヒー> 昔の日本のコーヒー牛乳と同じような味
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<カダルール県(Cuddalore District)政府事務所>
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<津波被害が大きかったカダルール県の地図、海岸沿いのオレンジ部分が被害地域。細かいブロックはパンチャヤート(行政村)>
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<宿泊したポンディシェリのホテル>  ポンディシェリは、インドがイギリス領であった中で、フランス領であった地域。現在は、連邦政府の直轄地となっている。
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<ホテル近くの海岸> 日曜日のため、車は通行止め、家族づれやカップルなど多くの人。屋台がたくさん出ていた。見える海はベンガル湾津波は、スマトラ沖から数千キロ離れたここまで押し寄せてきた。
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<ベンガル湾> (シンガスロップ(Singarthoppu)地区) <民家での家庭料理> 民家で家庭料理をいただいた。コンクリートの床にゴザを敷き、竹の葉の上に食事をのせる。もちろん手で食べる。レストランでの食事より味は最高にうまかったように思う。しかし、手で食べるのは日本人には精神的にちょっときつい。
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<ランチの後での民家の前で>
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<津波で被災して再建された住宅>
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<地区の女性グループへのインタビュー> 集会所兼、礼拝所みたいなところなので、靴を脱いでインタビューをした。
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<津波の高さ>  集会した場所の5-6メートルある椰子の木の上まで波が来たそうだ。
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(ムズクライ(Muzhukuthurrai地区) <コミュニティリーダー達からの聞き取り> 被災を受けた地区で、コミュニティリーダー達と会合を持っている様子。タミルナードの男達の顔つきは、やはりインド北部の人たちとは違う。皆漁民なので、マッチョで精悍な感じである。
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<村の子ども達> 人なつこい子ども達。ちょうど昼時だったので、低学年の子どもは学校が終わった後なのだろうか。日本人のような風貌が珍しいらしい。
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<下水処理施設> 緊急津波復興プロジェクトで、ワールドバンクの支援で作られたと書かれている。
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(MGRティテュ地区) ここは、沖合の島に居住して被災を受けた人たちが移転してきた地区である。 <恒久住宅の立地地区>  中央の広場には、亡くなった人の墓標が見える。
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<コミュニティセンター>
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<コミュニティリーダー達へのインタビュー>
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<被災した島(旧村)> 沖合に見えるのが被災した旧村の島。ボートに乗って渡った。ちょっとスリリングな感じだった。
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<島の中の様子> 民家はまったくなく、外国から来たと思われる人が海水浴をしていた。
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(ツナミナガール(Tsunaminagar)地区) ツナミナガールとはすごい名前だが、ここは、3つの被災コミュニティから集まって作られた恒久住宅地区である。 住宅の位置を示すボードは、被災から10年が経過しており、近々ある州議会選挙のポスターなどが貼られてしまっている。住民は、抽選で居住地を決められたそうだが、未だにそれぞれ、元の居住村に所属しているそうで、奇妙な感じがする。 <地区の入り口にある恒久住宅の位置図>
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<地区の住宅>  ブロックごとに資金の出所(政府、NGO)が異なっており、仕様が異なっているとのことである。
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<地区の女性グループへのインタビュー>
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<マハーバリプラム遺跡群> チェンナイ近郊の世界遺産ベンガル湾に臨むマハーバリプラムは、6世紀以降、パッラヴァ朝における東西貿易の一大拠点として栄え、町には数多くのヒンドゥー教寺院が建立された。規模は小さいが数カ所の寺院が世界遺産に指定されている。
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ゼミ合宿と公共政策学会学生政策コンペ

千代田区立図書館の指定管理、そなエリア東京(防災体験学習施設)を訪問し、翌日、川越市で行われた公共政策学会の学生政策コンペに参加した。全国から20以上の大学が参加して、地域の課題解決のための政策提言をプレゼンテーションで競い合うものだ。 普段研究の話はしても教育の話は研究者同士は余りしないものだが、公共政策分野の各大学の先生がどのようなポリシーで教育をされているのかがよく分かってこちらとしても大変参考になった。 また、プレゼンテーションの仕方もいろいろな方法があり、大変興味深かった。 私は現場感覚を重視しているので、フィールドワークをよく行うが、他ゼミ、他大学との交流をして外の空気を吸うこと、そして、他流試合の大切さを改めて感じた。 <そなエリア館内>
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<発表風景>
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<講評会場>
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<発表会後の懇親会(お疲れ様でした)>
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